少女マンガ誌を支える戦友たち

デビューしてからしばらくは地元でマンガを描いて、連載が忙しくなって上京する人が多かったと思います。だから同年代の人が高校や大学を卒業して東京に来るまで、だいぶタイムラグがあったのです。

1964年のデビューから3年ほど経って、同世代のマンガ家が上京してくると、出版社に行った際、同じように打ち合わせに来た彼女たちと顔を合わせることが増えました。神奈幸子さん、杉本啓子さん、北条なみえさん、大岡まち子さん、飛鳥幸子さん、辻村弘子さんなど、次々とデビューしました。

デビューしてからしばらくは地元でマンガを描いて、連載が忙しくなって上京する人が多かったと思います(写真提供:Photo AC)

講談社新人漫画賞を競った青池保子さんとも「やっと会えたね~」と、手を取り合って喜んだものです。

青池さんは、雑誌の投稿ページの常連だったのです。ご自身で描いたカットや似顔絵がよく載っていました。私は毎月採用はされないのですが、他にも何人か常連がいて見知った名前がありました。青池さんは講談社で会う前に一度デビューなさっていたんですね。

水野英子先生と郷里が同じ下関で、先生のご紹介で「りぼん」で読み切りを一作お描きになっていました。それで「すごいわ、この人やっぱりうまい」と思っていたのです。

講談社の新人漫画賞の最終選考で名前を見つけたときは「もう絶対にこの人だな」と思っていました。だから私が入選したと聞いて、「青池さんじゃないんですか?」と聞いたくらい。だからこの入選に恥じないように頑張ろうと思いました。