「誰でもいい」から「この人がいい」へ
この人に会ってみたい。素直にそう思えるようになった頃、私が住む土地へ彼が赴く機会があった。偶然にも、彼の親戚が近隣に住んでいたのである。ファーストフード店で、互いに一歩引いた心持ちで「はじめまして」を交わし、私たちは食事と会話を楽しんだ。同日の夜、彼から連絡があった。
「会いたい」
それは、「会う」の先を意味する言葉だった。仮に、土壇場になって私が怖気づいたとしても、彼はそれを受け入れてくれるだろう。そう信じている自分に気づいた時、自分がとうに彼を好きになっていたことを知った。忘れがたい相手への想いを語り合ううちに、私たちの間に新しいなにかが育っていた。
彼が家を訪れたのは、日付が変わる少し前だった。相手の緊張が、むしろ私の緊張を解いた。手慣れている雰囲気を出されたなら、おそらくその時点で私は冷めていただろう。その夜を境に、「誰でもいい」が「この人がいい」に変わった。幼馴染との別離以降、はじめてまともに人を愛した。
数年の時を経て、その人は私の夫になった。正確に言えば、「元夫」である。紆余曲折を経て離婚したものの、私は彼を心から愛していた。あの当時、底なし沼のようだった日々から物理的に私を救ってくれたのは、間違いなく元夫であった。