“良いお母さん”の基準とは
物語の主人公は、大学生の大和祐介。恋人が自分の兄と恋仲であることを知り、心に深い痛手を負った。耐えがたい痛みから逃げるように、信州の「かむなび」でアルバイトをはじめた祐介は、バイト先で出会う人々との交流を通して少しずつ前に進んでいく。その過程は、厳しい現実を孕みながらも優しさに満ちている。
先に述べた園主は、自分の仕事に誇りを持っていると同時に、相手への敬意も忘れない。
“「手伝う、いう言葉はおれは嫌いや。三歳には三歳なりの仕事がある。八十歳には八十歳の、二十歳には二十歳の仕事があるようにな」”
ハッとさせられる台詞の数々は、読み返すごとに私の背筋を伸ばしてくれる。当時の私は、耳当たりのいい言葉だけを求めているわけではなかった。むしろ、誰かに正面からガツンと叱ってほしかった。
“理想ものうて何の人生じゃ”
理想ーー私の理想とは、一体なんだろう。“良いお母さん”になることか。では、“良い”お母さんとはどういう人を指すのだろう。その基準は、誰が決めるのだろう。世間か、私か、子の父親か。
逡巡したのち、どれも違うと思った。それを決められるのは、子ども本人しかいない。そんな当たり前のことさえ、当時の私は見失っていた。