父親による性虐待、母親による過剰なしつけという名の虐待を受けながら育った碧月はるさん。家出をし中卒で働くも、後遺症による精神の不安定さから、なかなか自分の人生を生きることができない――。これは特殊な事例ではなく、安全なはずの「家」が実は危険な場所であり、外からはその被害が見えにくいという現状が日本にはある。何度も生きるのをやめようと思いながら、彼女はどうやってサバイブしてきたのか?生きていく上で必要な道徳や理性、優しさや強さを教えてくれたのは「本」という存在だったという。このエッセイは、「本」に救われながら生きてきた彼女の回復の過程でもあり、作家の方々への感謝状でもある。
夫婦共に「1番辛いのは自分」と思っていた
両親からの虐待被害による後遺症に苛まれる日々の中、生涯を共にしたいと思える人と出会った。結婚を機に貧困を脱したものの、後遺症そのものが消えてなくなるわけもなく、記憶は削除と復元を繰り返す。己の身を立てることさえままならない状態で、結婚からおよそ1年半後に第1子を妊娠。想像以上に重い悪阻に苦しみ、心身共に喘ぐ十月十日を過ごした。
妊娠期間中、水すらも嘔吐する日々が続き、脱水症状を緩和するため足繁く点滴に通った。元夫の休日の大半が、私の通院で消化される。まだ20代半ばだった私たちは、互いに「1番辛いのは自分」だと思っていた。
体の不調は、心の不調を招く。ただでさえメンタルが不安定な私は、妊娠を機に感情の起伏が激しくなり、言い様のない不安感に襲われることが増えていった。思わず漏らした弱音、「ちゃんとした母親になれない」の一言が元夫の逆鱗に触れ、夫婦の溝は増すばかり。途方に暮れた私は、自分の“不安”の大元が何なのかさえわからなくなっていた。
どうにか冷静さを取り戻そうと、お守り代わりの物語を枕元に引き寄せた。両親の虐待から逃れるきっかけをくれた物語――『翼 cry for the moon』の著者である村山由佳氏による長編小説『すべての雲は銀の…』。発売当初に食費を削って購入した本書は、何度も読み返したために角の部分が白くなっている。
本書に登場する人物たちは、誰もが味わい深く魅力的だ。その中でも特に惹かれるのは、物語の舞台となる信州・菅平にある宿「かむなび」のオーナー。通称「園主」と呼ばれる人物と、彼の姪を名乗る瞳子さんである。彼らが放つ台詞は、基本的に容赦がない。それなのに不思議と温かく、じんわりと心に染み入る。