「バルセロナモデル」から「ノーモアツーリズム」へ

スペインのバルセロナは、1992年の「バルセロナオリンピック」開催を機に、旧市街や観光名所の整備による「まちおこし」を本格化させました。そのとき、経済発展の基盤として重点を置かれたものが「観光」でした。

地域の観光振興における概念として「DMO(Destination Management/Marketing Organization)=観光地域作りにおいて、戦略策定やマーケティング、マネージメントを一体的に行う組織体」というものがあります。

バルセロナはDMOを世界に先駆けて組織し、都市再生と観光振興を結びつけました。サグラダ・ファミリア教会に代表される文化資産の再評価や、商業街・住宅街の再整備に加え、国際会議の誘致など、同市が取り組んだリバイバルプランは「バルセロナモデル」と称され、都市再生と観光誘致の理想形として、世界にその名をとどろかせました。

しかし、2010年を過ぎたころから、その反動が表面化します。

『観光亡国論』(著:アレックス・カー、清野由美 中公新書ラクレ)

観光名所が集中するバルセロナの旧市街は、もともと高い人口密度を持つエリアでした。格安航空会社や大型クルーズ船の浸透で、そのような場所に年間4000万人から5000万人という観光客が押し寄せるようになったことで、交通やゴミの収集、地域の安全管理などの公共サービスは打撃を受けました。

さらに土地代の高騰で、観光繁忙期に働きに来ていた労働者が滞在する場所もなくなり、サービスの担い手不足という事態も起こったのです。

やがて、観光による経済振興以前に、自分たちの仕事環境、住環境、自然環境をいかに守るかが、住民にとっては最優先の課題となりました。観光促進をリードした町では、市民たちが「観光客は帰れ」というデモを行い、町中には「観光が町を殺す」といった不穏なビラが貼られるようになりました。

都市再生の優等生とされたバルセロナですが、オーバーツーリズムに悩まされるようになった今、むしろ「ノーモアツーリズム」の先頭に立っているのは皮肉なことでもあります。