対照的な父親の姿を通じて
今回の『風に立つ』には相反するタイプの父親が登場します。ひとりは南部鉄器職人の孝雄、もうひとりは孝雄が預かった非行少年・春斗の父親で弁護士の達也です。
孝雄は息子である悟に何も言わず、悟の仕事や生き方に対してもすべて本人の選択に任せています。その態度が結果として、「親父は自分に無関心」と悟に思わせてしまっている。一方、達也のほうは息子の春斗に対して過干渉。若いときに自分が苦労したから息子には同じ苦労させたくないと、春斗の意志はそっちのけで安定した道を歩ませようとします。春斗はそんな両親の愛情に疑いを抱いた結果、非行に走ることに。
今回の小説で伝えたかったことは、親としてどちらがいいのかということではありません。孝雄も達也も、息子を大切に思い、我が子に幸せになってほしいと願っているのは同じこと。ただ、アプローチの仕方が違うだけで、どちらにも悪意はないのです。なのに、なぜ、それぞれの親子関係が上手くいかないのか――そのもどかしさややるせなさを表現したいと考えました。
親子の関係を描くのに、なぜ母と娘ではなく、父と息子にしたのか。それは多分、私が父の影響を多大に受けて育ったからでしょう。本を読むようになったのは漫画や本が大好きだった母の影響ですが、私の理屈っぽい性格は父譲り。母よりも、多分、私は父に似ているんですね。父は子どもに「ああしなさい」「こうしなさい」と細かいことを言う人ではありませんでしたが、時折ポツッと大切なことを言う。
たとえば、「常に謙虚でいなさい。自分よりもっとものごとを知っている人がいることを覚えておきなさい」とか「たとえ自分が損をしても、恩を返さねばならないときがある」とか。父はごく普通の会社員でしたけど、自分の価値観をしっかり持っている人だったので、そんな父が残してくれた言葉の数々が今でも私の生きる指針になっている。だから、私は小説の中でも父という存在を書くのでしょう。