「あばれはっちゃく」になりたくて
僕は7歳の頃、当時視聴率が20パーセントくらいあった人気番組『あばれはっちゃく』を見て、「これだ!」と思いました。どうしても主役の桜間長太郎を演じたいと、自分で劇団を探したんです。
父は会社員だったので、当時劇団に入れるほどお金に余裕がなかった。なので、おじいちゃんにお金を出してもらうために大阪まで行き、「自分が調べた一番安い劇団だから」と頼みました。おじいちゃんには5人子どもがいたけれど、エンタメの世界に入りたいっていうようなのはいなかったので、喜んでお金を出してくれました。
それから3年後、オーディションを突破して、10歳で5代目の「あばれはっちゃく」を射止めることができた。自分でも幸運だったと思います。
撮影に送ってくれるのは父でした。自宅がある多摩市の方から新宿に向かって、一緒に通勤電車に乗って通ったんですけど「ああ、親父はこうやって毎日、こんな満員の電車に乗ってるんだな」って知った。「俺は親父のようなサラリーマンにはなれないな」と、その時に父とは違う人生を歩もうと思ったんです。
仏のような父
父のことを観察していて、自分が6年生になる頃には「こいつ、たくさんいるサラリーマンの中でも評価が高いだろうな」と、思ってました。文武両道で学校も会社も無遅刻無欠勤、大阪のバスケ代表までやってた人です。大学からも誘われたのに、家計を助けなきゃいけなくて就職しました。高卒で会社に入り、一部上場企業の社長まで行きました。
定年してからは、自閉症のある僕の弟の面倒に専念していました。でもある日、孫の靴を買いに行こうと家を出たところ、心筋梗塞で亡くなったんです。性格も仏のようで、母ととても仲が良く、喧嘩一つしなかった。