下級貴族

彼女は貴族の娘ではあったのですが、紫式部の父親は、さほど位の高い貴族ではなく、受領(ずりょう)階級の貴族でした。

「受領」とは、「お上(かみ)から、いずこかの領地(地方)の差配権をあたえられる」との意味で、いわゆる国司(こくし)をつとめる階級です。

『紫式部の言い分』(著:岳真也/ワニブックス【PLUS】新書)

今日で言うなら、知事か市長、といったところでしょうか。

まぁ、それでも庶民からすれば、偉い人にちがいはありません。が、貴族社会では、天皇のそばで仕え、政治の中枢に身をおくことが、エリートの証(あか)しなのです。

つまりは、中間管理職とでも申しましょうか、紫式部の父親は非エリートの貴族=下級貴族というわけです。

名前は藤原為時(ためとき)。「藤原」と聞けば、平安時代ではかなりの家柄と思われるでしょうが、藤原氏にはさまざまな家系があって、奈良時代には南家(なんけ)、北家(ほっけ)、式家(しきけ)、京家(きょうけ)の四氏に分かれています。

平安時代中期になって、北家の藤原良房(よしふさ)が清和(せいわ)天皇の外戚となったことで、摂政(せっしょう)の役職に就き、実権を握ったのです。

為時も藤原北家の出ではありますが、良房の弟・良門(よしかど)の系統だったため、主流の藤原摂関家(せっかんけ)とは大きく差のついた地位に甘んじなければなりませんでした。

ただ、為時の祖先には有名歌人が輩出し、為時みずから歌も詠みますし、優れた漢学者だったのです。