落ちぶれた貴族の屋敷

話をもどします。

紫式部は、「先祖の兼輔が著名な歌人であった」ということを、たいそう誇りに思っていたようです。京師(けいし)随一の教養人であった兼輔の屋敷には、多くの漢書や和歌集などが残されていました。

紫式部の祖父や父は、歌人・文人の家門であることを意識し、そのぶん懸命に勉学に励んだにちがいありません。

当然のことながら、賢い少女であった紫式部は、多くの書物にかこまれた環境のなかで、しっかりと教養を身につけていきました。

しかし、兼輔の代につくられた風趣あふれる邸宅は、為時の代にはどうなっていたでしょうか。

紫式部の曾祖父・兼輔は従三位中納言でしたが、祖父や父は、「従五位(じゅごい)の受領階級」にしかなれませんでした。

しかも、です。

紫式部の父・為時は越前守(えちぜんのかみ)に任ぜられるまえは、10年間も無役の身の上でした。ということは、実入りがとぼしく、賀茂河畔の優雅な邸宅を、美麗に維持できるほどの財力はありません。

おそらく庭には雑草が生い茂っていたでしょうし、建物もさぞや傷んでいたでしょう。わるい言い方をすれば、「落ちぶれた貴族の屋敷そのものだった」可能性があります。

紫式部は、和歌などの作品を理解しはじめた少女時代に、先祖の文芸面での栄光の歴史と、零落してしまった家門のわびしさを、ひしひしと感じていたと思います。

※本稿は、『紫式部の言い分』(ワニブックス【PLUS】新書)の一部を再編集したものです。

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