心の変化
正月の三が日には、池田の自宅に年賀の客が絶えません。とうとう百人を超すようになると、もう仁子の手に負えなくなり、コックを二人呼んでお膳を用意するほどのにぎわいになったのです。
仁子は家事の合間に、映画と文楽を見るのを楽しみにしました。洋画が好きで、映画を見て帰ってくるといつも主題歌を口ずさみました。『腰抜け二挺拳銃』(1949年、米映画)でボブ・ホープが歌った「ボタンズ・アンド・ボウズ」(ボタンとリボン)や、フォークソングの「テン・リトル・インディアンズ」をきれいな声で歌いました。若い頃から親しんだ英語の発音はさすがに上手だったそうです。文楽もよく観に行きました。こちらは若い頃の百福にそっくりな人形遣いがいたためです。
須磨(仁子の母)はもっぱら、孫の面倒を見ました。幼い宏基と明美(長女)が可愛くて仕方がなかったのです。二人が幼稚園に通っている頃は、いつも三人が川の字になって寝ていました。小学生になって、二階の個室をもらうようになると、須磨は孫のことが気にかかり、夜中に階段を上がって様子を見に行くのでした。顔をさわって、ちゃんと息をしているか確かめるのが日課だったのです。
一見、平和な暮らしです。
しかし、仁子の心に変化が生じました。
今は幸せだけれど、人の世は無常。泉大津の時のように、いつなんどき、また家族に災難が降りかかるか分からない。結婚した当時、「人間にとって一番大事なのは食だ」と、塩や栄養食品の開発に取り組んでいた百福が、今は慣れない銀行の仕事をしている。大丈夫だろうか。そんな不安がよぎったのかもしれません。「私にできることは祈ること」と、仁子は信仰の道に入りました。