「主人の健康は、私が支える」

百福は若い頃から早寝早起きで、仕事が終わるとさっさと帰宅しました。高級料亭の宴会や、酒席のお付き合いがあまり好きではありませんでした。その代わり、家では夕食、朝食はフルコースといっていいほどしっかりと食べました。仁子はその準備にいつも頭を悩ませていたのです。

「主人の健康は、私が支える」という責任感が強く、帰宅した百福が、今日はこれが食べたいというと、今まで準備したものをすべて作り変えました。

1955年頃、百福と夫婦仲睦まじく(写真:『チキンラーメンの女房 実録 安藤仁子』より)

百福はいつも世界の中心にいる人でした。何か始めると、周りの人はいつの間にかその渦に呑みこまれました。仁子は決してグチは言いませんでしたが、我慢にも限界がありました。

気持ちがどうしても収まらない時は、周りにいる人に、「ちょっと手を出してちょうだい」と言い、出てきた手の平を「くそっ」と言ってつねるふりをし、溜飲を下げたそうです。これをいつしか人は「仁子のくそ教」と呼ぶようになりました。幼少時から、どんなにつらいことがあっても「なにくそ」と乗り越えてきた仁子ですが、晩年の対象は、いつも百福だったのです。