(イラスト=マツモトヨーコ)

「調理にも定年があっていい」に多くの反響が

「葬式定年」という言葉を思いついたのは、以前「調理定年」を提唱したところけっこう共感いただけたからです。

きっかけは確か82歳の頃、学生時代の友人からの年賀状でした。良妻賢母の鑑みたいな方だったのに、「この頃、歳のせいかあんなに好きだったお料理が億劫になって、ときどきサボッています」と書いてあったのです。

それから2、3年のうちに、同じような一筆が書かれた年賀状が何通も届くようになりました。なかには、「夫はまだ通勤して働いております。満員電車に揺られている夫のことを思うと、ここで料理に悲鳴を上げてはいけないと、身体に鞭打って料理を作っております」などという悲壮な覚悟の方もいました。

かつては、80代半ばになってまで毎日料理をするケースはそうそうなかったのではないでしょうか。そこまで生きる方もそう多くはなかったでしょうし、昔は三世代同居で、お嫁さんが「お義母さん、ご飯ですよ」などと用意してくれたものです。お嫁さんのご苦労も、大変だったと思います。

ところが人生100年時代を迎え、家族形態も変わり、高齢者だけの世帯や高齢の一人世帯も増えてきました。そのため80を過ぎても、まだ家事から解放されません。

たとえ主婦としてがんばってこられた方でも、80半ばを超えて毎日料理をするのは、難行苦行です。勤め人の夫には定年があるのだから、妻も「調理定年」があってもよいではないか。いくらか高くつくかもしれないけれど、既製品のお惣菜を組み合わせるなど、手抜き上等――と提案したところ、「よく言ってくださった」などと、思わぬ反響を呼びました。