(撮影:婦人公論.jp編集部)
NPO法人「高齢社会をよくする女性の会」理事長の樋口恵子さんによる『婦人公論』の新連載「老いの実況中継」。91歳、徒然なるままに「今」を綴ります。第13回は、【「葬式定年」のすすめ】です。(構成=篠藤ゆり イラスト=マツモトヨーコ)

参列が難しければ、不義理をしてもいい

この歳になると、知人や友人の訃報がわりと頻繁に入ってきます。こうしたお別れがいつかやってくることは頭でわかっていても、やはりとてもさびしい気持ちになります。

女学校と高校時代の女性のクラスメイトにはお元気な方がまだまだいますが、小学校や大学で同期だった男性の逝去の知らせをいただくことが多く感じられました。2022年の日本人の平均寿命は男性81・05歳、女性87・09歳ですから、むべなるかな、といったところでしょう。

9年ほど前のこと。旧知の仲だった、大学教授をつとめていらした女性が96歳で亡くなり、私も葬儀に馳せ参じました。きょうだいが多いと聞いていましたが、参列したごきょうだいは2人。彼女と私の共通の知人も、みんな80歳前後という高齢のせいか、あまりお見かけしませんでした。

当時私は82歳。それでもまだ元気なつもりでいました。ところが85歳を過ぎてからは、雨が降った日には、足元が悪くて転ぶのではないかと不安になり、通夜や葬儀に行くのを躊躇するようになりました。冬であれば会場によっては寒い場合もあり、高齢者にとってはけっこう負担が大きかったりもします。

実際、葬儀に行った後に体調を崩した、あるいは残念なことに亡くなってしまったという話もときどき聞きます。それをもってして、「故人に連れていかれた」などと言う人もいるようです。

そこで提案したいのが、「葬式定年」です。ご自身の体調によって「葬式定年」を決めて、ある程度の年齢になったら、不義理をしてもよいのではないでしょうか。

日本人はおしなべて義理堅いので、親しい人や恩人の葬儀に行かないと失礼と思いがちです。でも、どうせあの世で間もなく会えるのです。無理して体調を崩すくらいなら、家にいて、この世でのご縁に感謝しつつ、「待っててね。また会えるのを楽しみにしているわ」と語りかけてみてはいかがでしょう。私の葬儀があったとしても、「ぜひ、生きている人の都合を優先してくださいね」とお伝えしておきます。