孤独な育児に追われる日々
両親から虐待を受けて育った私は、虐待の連鎖を恐れるあまり、手放しで子どもを望む気にはなれずにいた。いざ長男を授かってからも喜びより不安のほうが強く、ギリギリまで産むべきか否か逡巡する日々を過ごした。しかし、ある物語を通してそんな自分を肯定できるようになり、結果的に長男を出産するに至った。
はじめての育児は、マニュアル通りにいかないことの連続であった。「授乳は3時間おき」と聞いていた赤子は1時間おきに泣き喚き、朝となく夜となく長男の世話に追われた。おむつを替え、授乳をし、抱っこで揺らしているうちに1日が終わる。まともに眠れない日々が長期間にわたる中で、私の心身は著しく疲弊した。
病院の方針と当時の強い風潮が重なり、長男は完全母乳で育てていた。そのため、授乳を父親に代わってもらうことは叶わず、夜泣きのたびに抱き上げるのも当然の如く私の役目となった。元夫の仕事は「家庭の事情」を理由に休むことが許される企業体質ではなく、「男性の育児休暇など論外」という空気に満ちていた。私たち夫婦の実家はどちらも遠方で、手助けは一切望めない。そもそも物理的に近かったとて、自分の両親は助けを求めたい相手ではなかった。
はじめての出産なのに里帰りすらせず、退院後から自分で家事と育児のすべてを担った。「産褥期はトイレ以外は横になって過ごすように」と祖母に口酸っぱく言われたが、家事も育児も代わってくれる人がいない以上、それは実質不可能だった。
「産褥期に無理をすると更年期障害が重くなる」と、にべもなく言ったのは母だった。「あなたが頼りたいと思える母親ではないから、私が自分でやるしかないのだ」と、喉元まで非難の台詞が出かかった。数十年後にくるであろう更年期障害の心配の前に、今この瞬間をなんとかしなければならない。頼れる人がいないのだから、自分が動くよりしょうがない。
「里帰り出産」は、安心して帰れる故郷がある人のみに許された選択肢だ。虐待サバイバーは、多くの物事を諦めながら生きている。里帰り出産は、その中の1つに過ぎない。