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父親による性虐待、母親による過剰なしつけという名の虐待を受けながら育った碧月はるさん。家出をし中卒で働くも、後遺症による精神の不安定さから、なかなか自分の人生を生きることができない――。これは特殊な事例ではなく、安全なはずの「家」が実は危険な場所であり、外からはその被害が見えにくいという現状が日本にはある。何度も生きるのをやめようと思いながら、彼女はどうやってサバイブしてきたのか?生きていく上で必要な道徳や理性、優しさや強さを教えてくれたのは「本」という存在だったという。このエッセイは、「本」に救われながら生きてきた回復の過程でもあり、作家の方々への感謝状でもある。

第20回「台東区の4歳児中毒死事件に思う。家庭内でスケープゴートにされる子ども。虐待死を防ぐために必要な支援と、きょうだいのケアを願う」はこちら

産後からはじまった元夫の暴言

「用済みだからあっち行って」

元夫にそう言われた夜、私は裸のまましばし呆然とした。不規則な勤務で深夜に帰ってきた彼に求められて交わったあと、彼の胸元に顔を埋めた私に冷たい声が降ってきた。

「やりたいことはやったから、あっちに行けってこと?」

否定してくれ、と願いながらそう問うた私に、彼は「そうだ」とにべもなく言った。別室で寝ている長男はまだ生後数ヵ月で、頻回に夜泣きをする。言い争いをする気力も体力も、私にはなかった。自分の寝巻きを腕に抱え、のろのろと立ち上がる。部屋のドアを閉める瞬間、元夫はすでに目を瞑っていた。

寝巻きを身につけ、布団に体を横たえて少し経った頃、長男が泣き出した。「またか」という苛立ちと「やるしかない」という諦めが、脳内を占拠する。愛情を上回る疲労と焦燥が、私の理性を焦がした。母が私を殴るのは、いつも父と諍いを起こした後だったことを思い出した。

あの人のようにはならない。

その意地だけが、私をぎりぎりのところで踏みとどまらせた。重い体を起こし、抱き上げた長男に乳をふくませる。パタリと泣きやんだ彼の顔を見下ろす私は、おそらく能面のような顔をしていたと思う。