スキー場に劇場やクラブまで 数々の娯楽施設も存在した

生活に必要な施設だけでなく、娯楽施設も多様だった。炭鉱事業者の社員向けには体育館や夜間照明つきのテニスコート、それにプールやスキー場まであった。スキー場にはなんとジャンプ台があり、沼田の住人のなかにはジャンプ競技で全日本の大会に出場した選手もいたという。

「隧道マーケット」では、さまざまなものが不自由なく買えた(写真:沼田町産業創出課)

また、クラブも二つ設けられていた。ひとつは東京から来る社員や外来客向けの宿泊施設で、フランス料理のシェフが料理を振る舞うという豪華さだ。もうひとつのクラブは鉱員の娯楽用。麻雀(マージャン)や囲碁をしたり、飲酒をしたりという遊び場となっていた。

さらには、映画や演劇が鑑賞できる「信和(しんわ)会館」という劇場まで営業していたというから、施設の充実ぶりがうかがえる。劇場では演歌歌手のコンサートが開かれることもあったそうだ。

社員、鉱員の家族がファッションを楽しめるよう洋服店もあった。鉱員の夫人のなかには東京などの都市部で流行した服で着飾る者も少なくなかった。

治安面でも昭和炭鉱は平和だった。地区全体が炭鉱事業者の敷地だったことも外部からの部外者の侵入を防ぐ要因になっていた。万が一、見慣れない人間がいた場合は、危険性のある不審者と判断されれば街中に放送で知らせるシステム。

こうした街づくりの特徴と徹底した不審者監視が合わさって昭和地区の治安は良好に保たれていた。ちなみに、歓楽街があったほかの炭鉱町には派出所はあるにはあったが、決して治安はよくなかったようだ。

対して、昭和地区は統制が取れた平和的な暮らし。昭和地区は炭鉱事業者が合理的につくりあげた企業城下町だったのだ。

※本稿は、『ルポ 日本異界地図 行ってはいけない!? タブー地帯32選』(清談社Publico)の一部を再編集したものです。


ルポ 日本異界地図 行ってはいけない!? タブー地帯32選』(編著:風来堂、著:宮台真司・生駒明・橋本明・深笛義也・渡辺拓也/清談社Publico)

松代大本営、アブチラガマ、新宿ゴールデン街、飛田新地、福島第一原発、香川・豊島、軍艦島、成田空港、東京・山谷、釜ヶ崎、長島愛生園 etc.……

「禁断」の土地の歴史と真実に迫る旅