スカイツリーの落差を3分で「落ちる」海底エレベーター

大正から昭和にかけて、端島は最盛期を迎える。「軍艦島」と呼ばれるようになったのも、大正期に入ってからのことだ。1923(大正12)年には、のちに換気用として使われることになる第四竪坑が完成した。第一竪坑は明治期に坑内火災によって閉鎖されたため、最盛期に稼働していたのは第二〜四竪坑。

この3本の竪坑ではベルトコンベヤーなどの機械化が進み、第二竪坑に関してはさらなる掘り下げも行われた。

こうして、太平洋戦争開戦となる1941(昭和16)年には年間出炭最高記録となる41万1100tを達成。戦時中の急激な石炭需要増加にも対応していった。

端島の海底には地下1km以上、周囲2km以上の広大な範囲に、いくつもの海底坑道が張りめぐらされていた。採炭は24時間3交代制(戦時中は2交代制)で、昼夜を問わずフル稼働で行われた。鉱員たちは詰め所で打ち合わせをしたあと、ケージと呼ばれたエレベーターに乗って竪坑を下りる。

ケージは606mと東京スカイツリーに匹敵する深さを最大秒速8m、たったの3分ほどで昇降する。これは「下りる」というより「落ちる」という感覚に近く、失神する人もいたようだ。

軍艦島MAP<『ルポ 日本異界地図 行ってはいけない!? タブー地帯32選』より>

坑底に着いたあとは500mほど歩き、人車に乗車。この人車もまた急傾斜を猛スピードで下るため、とうてい前を向いては座れず、鉱員たちはみな後ろ向きに座っていたという。

そうしてたどり着いた採掘現場は気温約30℃、湿度約95%、常にガス爆発などの危険と隣り合わせの、とても厳しい環境だった。