「女性がお茶をいれたほうがおいしい」

翔が言うように、「誰狙いとか、誰が好みとか。可愛いとか可愛くないとか」物色する行為は、人をもの扱いしている感じがする。でも、この感覚を話しても、共感してもらえたことはなかった。人を記号化することの罪深さや、条件で見る/見られる居心地の悪さを共有できることなんてなかった。だから、ドラマの登場人物から、「誰狙いとか、誰が好みとか。可愛いとか可愛くないとか」が「人をものみたいに言う」ことだというセリフが出たのが、本当に新鮮で、驚き、そして心から感動したのだ。

誠は、アップデートする前、女性の部下に対し、「女性がお茶をいれたほうがおいしい」、「謝罪の場で女性がお茶を出して同席した方が雰囲気が柔らかくなる」と言ってしまうような人だった。こうした女性への扱いも、記号化やもの扱いに通じる部分があると感じるところがある。

例えば、男性だけの飲み会で、華やかさが足りないから、と女性を呼ぶ、という行為。私自身、以前勤めていた職場で、上司にとある飲み会に誘われたことがある。他の部署の中年男性が、男ばかりの部署でつまらないから、他の部署の若い女性を集めてきて欲しいと私の上司に頼んだのだと言う。その誘いを受けた時、正直、言い表せない嫌悪感を感じた。「場をにぎやかすためだけの存在」として扱われること。女性として振舞うという「機能」が求められること。それは、男性の機嫌を取る「道具」になれと言われているようなもの。そこで私は、「女性」という記号になる。

昨今世間を騒がせている一部の芸人であったとされる、大物芸人に後輩芸人たちが女性たちを“あてがう”ような飲み会もそうだろう。女性を“アテンド”したとされる後輩芸人の一人は、「女性をもののように扱っているとか、上納しているとか絶対ない」と言及した。この件では、性行為の強要があったかどうかはまだ事実が明らかになっていない。

写真提供◎AC

しかし、今明らかになっている情報だけでも、女性たちを集める飲み会自体はあったという見方が強い。性的な行為やその強要の有無に限らず、先輩の機嫌取りのために女性たちを集める時点で、十分女性をもの扱いしているのではないか。「もの扱い」の捉え方そのものに、大きな溝があることを突きつけられるような出来事だった。

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