家ではなく書斎に帰りたがった吉村

遍路に出たいと思いながら、実現したのは吉村の死去から4ヶ月後の11月だった。3泊4日の日程を捻出し、タクシーで徳島県の1番札所の霊山寺(りょうぜんじ)から高知県の29番札所の国分寺までまわった。

遺骨は一年間家に置いてほしいと、遺言にあった。それに従って家の祭壇に置いていたところ、司が次の一文に気づいた。

〈私にとって最も気持が安まるのは書斎で、死んだ折には机の上に骨壺を納骨時までのせておいて欲しい、と家人に言ってある。〉(『私の好きな悪い癖』講談社文庫)

地方の取材先から、吉村が早く帰りたいと思ったのは、家ではなく書斎だった。遺骨は書斎の机に移し、すぐにでも書けるように原稿用紙とペンを置いた。

一周忌には親族で越後湯沢の墓所に納骨を済ませた。それを待って、津村は吉村との思い出の家を建て替えた。

〈家を壊したいということは、夫が刻々と迫る死の時を見極め、目の前で点滴を引きぬいて死を迎えた病室を壊したいということが第一であった。〉(「声」『遍路みち』所収 講談社文庫)

私にとって最も気持が安まるのは書斎、と生前話していた(写真提供:新潮社)