家の近くの曲がり角に吉村の姿を見て

越後湯沢のマンションは、子供たちの家族が冬のスキーや夏休みなどに行くのを楽しみにしているので売るわけにいかない。そこには吉村の気配が濃厚に漂っていた。一人で泊まることができないので、司の車で向かった。

そうして吉村の亡きあとも、そこかしこに気配を感じていると、奇妙なことが起こった。

家の近くの曲り角に、吉村が立っていたのだ。初めて見たのは亡くなった年の歳末の夕闇だった。

〈秋が深まって公園の落葉が厚く散り敷かれるようになると、夕闇が濃くなる頃、家の近くの道の曲り角に夫の姿が現れる。この情景を短篇小説の中に書いたことがあるが、今の季節は、もっともよく見える。〉(同)

没後5年の瀬戸内との対談でも、津村は語っている。

〈あのね、まだ吉村の姿を見るときがあるの。今の季節はダメだけど、木枯らしが吹き始めてから、春先くらいまでの、いわゆる黄昏どきに、家のそばの電柱に、お気に入りのチャコールグレーのトレーナーを着た吉村が立っているのね。(略)私が眼を悪くしたとき、帰り道で私が転ばないか、心配した吉村がいつもそこに立ってたんだけど、その姿が今も見えるのよ。〉(「文藝春秋」平成23年9月号)