京王帝都電鉄

ではなぜ、このふたつの系統が、同じ沿線になったのかというと、戦時中の「大東急」によるものだ。

東京の南西部の私鉄が、すべて東急の傘下になったのである。

太平洋戦争が終わると、「大東急」となっていた各社は、別々の道を歩むことになった。その際に、「京王帝都電鉄」(現在は京王電鉄)を名乗ることになり、旧京王と旧帝都が同じ鉄道会社となった。

軌間の違う京王線系統と井の頭線系統が併存するのは、こういった経緯があるからである。

戦後の京王は、新宿駅近くに併用軌道があり、路面電車の規格から脱皮できないでいる状態をどうするかが課題となっていた。小さい車両、短い編成、都心側の多すぎる駅。このあたりをどうするかで京王は苦戦した。

と同時に、鉄道事業だけではなく、沿線価値をどう高めるかも京王の課題となった。

バス事業の強化や、百貨店・マーケット事業の設立に力を入れると同時に、不動産事業も重視するようになった(写真提供:Photo AC)

そして、バス事業の強化や、百貨店・マーケット事業の設立に力を入れると同時に、不動産事業も重視するようになった。

こうして、路面電車ベースの鉄道事業から、沿線ビジネスの強化へと、京王のビジネスモデルは変わっていったのだ。