独自ジャンルに夢が持てなくなった?

笠置さんは、ご自分の歌手廃業の理由を「動いて歌ってこその笠置シヅ子」「太り始めてそれが出来なくなったから、プッツリとやめた」とテレビのインタビュー番組で話していらっしゃいます。

「自分が最も輝いた時代をそのままに残したい。それを自分の手で汚すことはできない」と。

いかにも、努力家で責任感が強く、一途で潔く、自分にも他人にも厳しいと言われた笠置シヅ子さんらしい表現だと感じます。

根っからの潔癖症、と言ってしまうと語弊があるのかも知れませんが、人の生き方にはそのような「生理的要素」も十分に関係していると私は思います。私自身がそうだから、妙に納得がいくのです。 

そして、笠置さんは、ただ踊れなくなったからというだけで、歌手を廃業したわけではないと思います。もちろん、それも1つの要因であったことに間違いないのでしょうが、そのことよりも彼女は、服部良一先生と一緒に作り上げた「ブギー・和製ジャズ」いう独自のジャンルの先にもう夢を持てなくなってしまったのではないでしょうか。それが歌をやめる一番の理由であったのではないかと、歌手ゆえに私は考えてしまいます。

自分の歌、自分の音楽に対して誰よりも自分自身が興味を持ち、そこに夢を持っていてこそ歌手というものは歌を歌い続けることができるのだと身を以て感じています。

もし、笠置シヅ子さんという歌手が「ブギー・和製ジャズ」の他に、別の音楽の世界を持ち合わせていたならば、42歳という年齢で歌手を廃業するという話にはなっていなかったのではないかと思ったりもしますが、そのような事は、御自身が一番よく分かっていらっしゃったに違いありません。その上で、廃業という選択であったのだと思います。

42歳で引退を決めた笠置シヅ子(写真提供◎神野さん)