テレビに押されて映画の人気が低迷したときも、映画館の隣で食べ物屋さんを開こうと思い立ち、夫に映画館を任せて、高崎市の料理店へ見習いに行くことを決めた。
「その店のチーフが、『一番手っとり早く習得できるのは中華料理だ』と言うので、じゃあ、中華にしますって。要するに、お店を開けるなら何でもよかったの」と笑う。
味にうるさく、もともと料理も得意だった夫と二人三脚で始めた店は、ランチは近くの役場や商店で働く人で、夜は映画帰りに餃子や野菜炒めをつまみに飲む人たちで繁盛した。
21年前に夫が亡くなり、店を畳もうかと考えたこともあったそうだが、長女と次男の助けを借りて続けていくことに。
「家族といっても、不満はお互いありますよ。でも、それをいちいち口にしていたら、爆発して収拾がつかなくなっちゃう。道に外れたことだけは絶対に許さないけれど、そうじゃないことならば目をつぶる。あえて争う必要なんてないんだから」
最近は腕の筋力が落ちたため、重い中華鍋は振らなくなったというが、接客のほかに調理や盛り付け、片付けのために週に6日は店に立つ。
「お客さんによく元気の秘訣を聞かれるけれど、特別なことは何もしていないんです。趣味といったら庭の草むしりくらい。仕事、仕事で明け暮れていますから。子どもたちに働かされてるってよく言うんだけど(笑)、でもね、体力的にできないことが増えても、必要とされていることが嬉しいし、毎日が楽しいですよ」
コロナ禍でお客さんが激減したときも、「食べるものは売るほどあるんだから、しばらく生きていけるでしょ」と割り切って店を続けたという天川さん。
何が起きても、どんなときも、できることをできる限りやる。そのいさぎよさ、前向きなパワーが、シャキッと伸びた背中を支え続けているのかもしれない。