うれしくもあり、悔しくもあり

宏基(次男)はすでに日清食品に入社して働いていましたが、この時、「創業者のトップダウンが強過ぎるのはよくない」と考え、消費者の欲求にこたえることを最優先するためにマーケティング部の新設を提案し、初代の部長職を自ら買って出たのです。

百福は自分の手で事業を築き上げてきた人です。マーケティング理論などという学問が嫌いでした。「商売は理屈じゃない」という主義だったのですが、この時はさすがにカップライス失敗のあとだけに、「おまえがそこまで言うならやってみろ」と了解してくれました。

宏基はカップライス撤退の翌年、「焼そばU.F.O.」「どん兵衛きつね」を立て続けに発売してヒットさせるという早業を見せました。ヒットさせただけでなく、その後、四十年以上も売れ続けるロングセラー商品に育て上げたのです。

百福は「うれしくもあり、悔しくもあり」という複雑な心境でした。

1985(昭和60)年、百福は七十五歳になりました。宏基に社長の座を譲り、自身は会長になりました。宏基は三十七歳。若くて元気いっぱいです。社長に就任するなり「打倒カップヌードル」という社内スローガンを掲げました。

世界八十か国・地域で売られているカップヌードルはすでにメガ・ブランドになっていました。そこで、「カップヌードルを超えるような商品を開発しよう」という高い目標を掲げました。社長就任のスピーチで勢いあまって「カップヌードルをぶっつぶせ!」と言ってしまったのです。