よくぞここまで来たものだ

百福が宏基の考えを理解するまで、長い時間がかかりました。

仁子は「いったい静かな老後はいつ来るのだろう」と嘆いていました。

宏基は母の心を思いやって、もう意固地になるのはやめようと決め、百福の話をゆっくり聞くことにしました。「聞くことが私の仕事だ」と悟ったのです。すると、百福もやっと穏やかになりました。

ある時、宏基は百福から、「人間は突き詰めれば敬と愛しかない。おまえにはその敬愛の心がない」と言われました。この言葉が宏基の心に沁みついて離れなくなりました。

「おまえのことを愛しているから、厳しいことを言うんだよ」とも言われました。

なぜその時素直に、「ありがとうございます」と感謝の気持ちを伝えられなかったのか。百福が亡くなった後、たった一つ、悔いが残ったのです。

晩年、百福は目が悪くなりました。仁子は耳が遠くなりました。家族が二人の間に入って通訳することが増えてきました。せっかちの百福は機嫌が悪くなります。

「主人の機嫌が悪いのは、歳のせいと目の悪いせい。わたしは観音様の心で行こう。とらわれない。かたよらない。こだわらない」(日記)と、仁子は自分の心を静めるのでした。

3月21日は結婚記念日でした。仁子は毎年、この日のことをしっかりと覚えていましたが、日記には「相手はさっぱり思い出しもせず、ゴルフへ」とあきらめの体です。

「珍しく主人から外食をと言ってもらったが、中止。一人でおこわを買ってきて食べる。食べ過ぎて、夕食はダメ。いつになったらフランス料理、おめかしして行けるのか」という日もありました。

ところがある時、「夕方、ゴルフから帰って、鯛とケーキ、しゃぶしゃぶの肉、ブタの三層肉、私へのお祝いとのこと。驚きました。実に出会ってから四十九年目、初めてでした」と大喜びの様子です。仁子は若い時から肉が大好きだったのです。

仁子は若い時から肉が大好きだったのです(写真提供:Photo AC)

そして、「思い返しても多事多難、よくぞここまで来たものだ」と百福との生活を振り返るのでした。