サムライの妻

仁子は小学生の時に天覧書道展に入選して以来、ずっと書道に打ち込みました。水嶋山耀(みずしまさんよう)(毎日書道展名誉会員、大阪教育大学名誉教授)を池田の自宅に招いて熱心に指導を受けました。百福は水嶋先生が来る日は相手にしてもらえず、機嫌が悪くなりました。

「これだけたびたび見えているのに、ちっとも挨拶に出てくれない」と仁子がグチを言うと、百福は「書道といったって模写しているだけじゃないか」と皮肉るのでした。

仁子は書道以外にも趣味が広く、編み物、お茶をたしなみ、木目込み人形を作りました。伝統工芸の鎌倉彫は相当な腕前に達し、桂の木を小刀で削り、朱色の漆を塗りこんだ銘々盆や合わせ鏡を完成させました。あんまり作品が多いので、明美は池田の自宅で「安藤仁子作品展」を開き、知り合いに公開したほどです。

晩年、仁子が大切にしていた仕事が二つありました。一つは、仁子の祈りの人生の集大成となる四国八十八ケ所めぐりを達成すること。もう一つは、日清食品の全工場に自身が祀った観音様にお参りすることでした。これをほとんど毎月、毎週欠かさず、日帰りの旅で続けました。

「十月二十六日、八時、四国巡礼へ出発。明石大橋を渡り、九番法輪寺、十番切幡寺、十四番常楽寺、十五番国分寺、十六番観音寺、十七番井戸寺と六か寺参詣。五時に帰宅」(日記)

百福の目の病気を気にして、目に効くお寺には必ず立ち寄ってお参りし、一生懸命に拝んでいたそうです。日清食品の全国にある工場の観音様にお参りする時も、いつも大阪からのとんぼ帰りで、「私は決して外泊はしません」と断言していました。

生涯、何があっても外でたたかう夫の帰りを玄関先で迎える「サムライの妻」だったのです。

※本稿は、『チキンラーメンの女房 実録 安藤仁子』(安藤百福発明記念館編、中央公論新社刊)の一部を再編集したものです。


チキンラーメンの女房 実録 安藤仁子』(著:安藤百福発明記念館/中央公論新社)

NHK連続テレビ小説『まんぷく』のヒロイン・福子のモデルとなった、日清食品創業者・安藤百福の妻であり、現日清食品ホールディングスCEO・安藤宏基の母、安藤仁子とは、どういう人物だったのか?

幾度もどん底を経験しながら、夫とともに「敗者復活」し、明るく前向きに生きた彼女のその人生に、さまざまな悩みに向き合う人たちへの答えやヒントがある――寒空のなかの1杯のラーメンのように、元気が沸き、温かい気持ちになる1冊。