信頼関係
このように考えたのは、父のことを考えての末ではなかったかもしれない。
私が延命治療を拒めば、私が死の決定をする事態になるのを恐れたからかもしれない。
しかし、胃瘻で少しでも生きながらえてほしいと思ったのは本当である。
意識がなくなっても、息をしているのとしていないのでは大違いである。
親に代わってどんな決断を下す運命になっても、親がそれを許してくれる信頼関係を生前築けていることが大切だと思った。
はたして、父は許してくれただろうか。
父は間もなく、胃瘻を造る前に亡くなった。
母のいのちも父のいのちも雲散霧消したとは思えない。
須賀敦子は亡くなった人のことを「いまは霧の向うの世界に行ってしまった友人たち」といっている(『ミラノ 霧の風景』『須賀敦子全集』第1巻所収)。
霧の向こうにいる人とは会うことはできないが、「いのち」を感じられる。
※本稿は、『悩める時の百冊百話-人生を救うあのセリフ、この思索』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。
『悩める時の百冊百話-人生を救うあのセリフ、この思索』(著:岸見一郎/中央公論新社)
『嫌われる勇気』の著者は、就職難、介護、離別などさまざまな苦難を乗り越えてきた。
氏を支え、救った古今東西の本と珠玉の言葉を一挙に紹介。
マルクス・アウレリウス、三木清、アドラーなどNHK「100分de名著」で著者が解説した哲人のほか、伊坂幸太郎の小説や韓国文学、絵本『にじいろのさかな』、大島弓子のマンガなどバラエティ豊かで意外な選書。
いずれにも通底するメッセージ=「生きる勇気」をすべての「青年」と「元・青年」に贈る。