佐藤さん「静子は毎日、毎日、松竹座の楽屋口へ通い詰めた」(写真提供:Photo AC)
最終回を迎えた朝ドラ『ブギウギ』。引退宣言をしたスズ子のさよならコンサートに、古巣の梅丸歌劇団(USK)からも多くの仲間が駆けつけ、客席で声援を送りました。今回は、モデルである笠置シヅ子が、松竹楽劇部生徒養成所に入所したときを振り返った、2023年10月30日の記事を再配信します。

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10月2日から放送が始まったNHK朝の連続テレビ小説『ブギウギ』。その主人公のモデルである昭和の大スター・笠置シヅ子について、「歌が大好きな風呂屋の少女は、やがて<ブギの女王>として一世を風靡していく」と語るのは、娯楽映画研究家でオトナの歌謡曲プロデューサーの佐藤利明さん。佐藤さんは「静子は毎日、毎日、松竹座の楽屋口へ通い詰めた」と言っていて――。

宝塚歌劇音楽学校を受験

1927(昭和2)年、小学校を卒業した静子は、近所の人や母の勧めもあって、宝塚歌劇音楽学校を受験した。一人、梅田から阪急電車に乗って宝塚新温泉にある宝塚音楽歌劇学校へ向かった。

黒地に臙脂(えんじ)色の花模様の大人びた着物姿の小柄な女の子は、他の受験生の少女らしい華やかさから、浮き上がった感じだった。学校の成績も良く、利発な静子は、一般常識の問題や口頭試問も難なく突破。

家族からも「あんたはきっと大丈夫や」と太鼓判を押され、自信があった静子だが、最後の体格審査で不合格となってしまった。

腹立たしさと悲しさがないまぜとなり、負けん気の強い静子は、家族には「落第した」とは言わずに「うち、あんなとこ、好かんさかいやめてきてしもた」と気丈なところを見せた。

かねてから、大阪の花街である南地の芸妓屋・中村屋からの奉公の話が来ており、芸妓になるのは気が進まなかった静子は「道頓堀の松竹楽劇部に入ろうと思ってるのや」と、帰りに願書を出してきたと、手回しの早いところを見せた。