必要性がないものに努力する気は起きない
では、なぜ英語を話さずに日本語で話すのでしょうか。
先ほどまで友だちとはずっと日本語で話していたのであれば、ここで急に英語に切り替えるのが面倒だったり難しかったりするということもあるでしょう。
先ほどのケンくんも、日本語で友だちに言われたセリフを引用していましたが、実際このような場合、ぴったりの英語の表現を見つけるのは簡単ではありません。用件が伝わればよいという場合の翻訳とちがって、ニュアンスまでぴったりした表現を探すのは、それこそ翻訳家が専門的に取り組んでいるくらい難しい仕事です。
そのこととも関連しますが、日本語の園や学校に行って、今や日本語を使う時間の方が長く、日本語の語彙や表現の方が豊富になってきているとすれば、自分の言いたいことを表現するにはこちらの方がいい、これしかない、ということもあるかもしれません。
それに加えて、母親に日本語が通じることを知っていれば、子どもとしては「どうしてわざわざ(自分にとっては既に使いにくい)英語で話さなければいけないの?」ということにもなります。
この「どうして**しなくてはいけないの?」という問いかけは、そのまま、学校の勉強がイヤで「どうしてこれを勉強しなくちゃいけないの?」と不機嫌にしている子どもの姿と重なります。