子どもは子どもで見きわめて言語を選んでいる
学校の勉強に努力が必要なように、日常よく使う言語のほかにもう一つ母親の話す言語も維持していくのだとすれば、やはりそこにも努力が必要です。
“維持”と書きましたが、学校で日本語の語彙がどんどん増えることを考えれば、それに対応する英語の語彙も増やしていかなければ、2つの言語で同じ内容を語ることができるようにはなりません。
つまり、バイリンガルの子どもが、家だけで使う英語を、家の外で使う日本語と同じくらい“使える”状態に維持していくためには、モノリンガルの子どもの倍の努力が必要ということになります。必要性が感じられないなら努力する気にもなれないのは、ほかの学校の勉強と同じでしょう。
こうして、園や学校で長い時間使う言語は、語彙も表現も豊かに、口もよくまわるようになり、その言語こそが自分の気持ちをもっともうまく表現できる「私の言語」になっていきます。一方、家族とのあいだでしか使われない言語は、もとは母語だったとしても、語彙も増えず、口からなめらかに出てくることもなくなり、そうやっているうちに本当に話せなくなることもあります。
一人の親につき1つの言語というやり方は、子どもをバイリンガルに育てるには最良の方法とされてきました。ただ、そのような親の気持ちとは別に、子どもは子どもで、自分なりに、その言語の必要性が維持のコストに見合うものかどうかを見きわめ、言語を選んでいるのです。