子ども時代に経験した言語の影響は残っているのか

バイリンガル環境で育てても、子どもは自分の必要性に照らして一方の言語だけを選んでいくのだとすれば、その選ばれなかった言語は、結局、子どものなかに何の痕跡も残さずに消えてしまうのでしょうか。あるいは、小さいときに新しい言語の環境に移り住んだことで、その新しい言語の方が「私の言語」になってしまい、もとの母語は使わなくなった、忘れた、という場合も、その“もと母語”の記憶はきれいさっぱり消えてしまったということなのでしょうか。

この問題をめぐる知見は割れています。

まず、国際養子縁組で韓国からフランスにやって来た子どもたちが、そのままフランス語だけの環境で成長したところで、子どもの頃の韓国語経験の影響が残っているかを調べた研究があります。この子どもたちは3~8歳のときにフランスに渡りました。そして調査時の20~30代のときには全員が韓国語のことを覚えておらず、彼らの話すフランス語にはまったく外国語なまりがありませんでした。

テストしてみると、韓国語では区別するけれどフランス語では区別しない音の聞き分けはできず*2、韓国語を聞いたときの脳の反応も、ほかの知らない外国語を聞いたときと変わりませんでした*3。つまり子ども時代に使っていたはずの言語は、今や彼らのなかにまったく残っていないようだったのです。

その一方で、子ども時代に経験した言語の痕跡が残っていることを見いだした研究*4もあります。この研究が調べたのは、6歳頃まではその言語を話したり聞いたりする機会があったけれど、学校にあがってからはあまり使わなくなり、高校や大学に入ってから授業でまたその言語について学ぶようになった、という人たちです。

たとえば、アメリカに住んでいて、学校はずっと英語だったけれども、子どもの頃は親戚との交流のなかで、週に何時間かはスペイン語を話していたとか、聞いていたといった人たちです。

そういった人たちを対象に、子どもの頃に経験し、現在また学び始めたその言語についてテストすると、文法的な文を話せるかといったところでは、大学に入ってからその言語を学び始めた人と変わりありませんでした。

しかし、文や音を聴き取ったり、発音したりというところでは、ネイティブ並みとまではいかないにせよ、大学に入って初めてその言語を学び始めた人よりはよくできるようなのでした。また、細かいことを言うなら、聴き取りや発音の成績は、やはり子ども時代に話していた人の方が、話さずに聞いていただけの人よりも、良かったのです。