「うちの母が58歳で亡くなった時、私は東京で舞台に立っていてお葬式にも出られなかったんです」(安奈さん)

安奈さんの母親に榛名さんが死に化粧を

安奈 榛名さんと巡り合って60年以上になり、私は今年、喜寿を迎えます。あらためて言うのもおかしな感じですが、これからもずっと、最後までお友達でいてほしいと思っています。

榛名 こちらこそですよ。

安奈 うちの母が58歳で亡くなった時、私は東京で舞台に立っていてお葬式にも出られなかったんです。急に亡くなったので父はパニック状態になっていて、榛名さんが看取りから葬儀まで全部仕切ってくださったんですよね……本当に感謝してもしきれません。(ハンカチを目に当てながら)今こうして話していても胸が詰まります。

榛名 私が宝塚で『新源氏物語』の舞台に立つ直前でした。お母さんの容体が急変したと聞いて、急いで神戸の病院に飛んで行ったんです。お母さんが亡くなって、自宅マンションに連れて帰ることになったんだけど、横に寝かせたままだとエレベーターに乗せられない。それで立った姿勢で私と抱き合うように乗せてね。

家に着いてから、妹さんと一緒に死に化粧をして……。ああ、この話をすると今でも涙が出る。私もパニックになっていたけど、ミキちゃんの代わりにやらないといけないって、ただその一心でした。

退団後、女優・安奈淳として新たな一歩を踏み出したところだったから、頑張ってほしいという気持ちしかなかったのよ。

安奈 私はその頃から体調を崩していて、母が亡くなったことで精神的にも落ち込んで、あまりいい時期ではなかったんですよね。その後、入院もしたし。

榛名 私もミキちゃんの3日後に入院しました。忘れもしない2000年。2人とも救急車で運ばれてね。お互い死にかけていたから、相手が入院していることを知らなかったの(笑)。植田先生が、「病院のハシゴやわ!」と言いながらお見舞いに来てくださったのを覚えています。