遠い昔、江戸時代に幕府は江戸の大火ののち、町を再建するにあたり、庶民にアンケート調査をしたという話を聞いたことがある。

「どんな町にしたいですか?」

その結果、「桜を愛でる場所」と「富士山を望める場所」をたくさん作ることを約束したそうだ。真偽のほどは定かでないが、昔、さる江戸時代研究家に伺ったと記憶する。

かくして江戸の町には「富士見町」「富士見台」「富士見橋」「富士見坂」「富士が丘」「富士の宮」など、「富士」ないし「富士見」がついた地名が各所にできた。富士山信仰がさかんだった時代のこと。

実際に見えるかどうか、願望だけで命名したという説もあるようだが、誰もが富士山を見たいと思っていたことは間違いない。そしてそれらの地名は今でもあちこちに残っている。

もはや東京もおおいなる様変わりをしたあげく、富士山なんてどこに見えるのさと首を傾げたくなるような「富士見橋」もあるけれど、「富士見橋」と聞いただけで、つい西の方角へ顔が向くのは、悪いことではない。

今朝も白い富士山は、青い空をバックにして凜々しい姿を見せてくれた。あのビルさえなければねえ。もっと大きく見えたかもしれないのにねえ。

なんて、文句を言ったらバチが当たる。昼を越え、夕方四時を過ぎたあたりから、今度は夕日に照らされて、ちっこいけれどなだらかな稜線を再び披露してくれることだろう。


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