最初は御為替御用が始まりだった

三井大坂両替店とは、現在の三井グループの「元祖」として知られる三井高利(たかとし)(1622~94)が、晩年の元禄4年(1691)から営業を開始した、今でいう総合金融機関である。

当初は高麗橋一丁目(現大阪市中央区)に店舗を構え、宝永3年(1706)頃に高麗橋三丁目に移転した。大坂両替店の開業は、高利の息子たちが幕府から御為替御用(おかわせごよう)を請け負ったことに端を発する。

各地に点在した幕府領のうち、西国の年貢米の多くが大坂に廻送されたことはよく知られている。

幕府は、概ね1680年代まで西国年貢米を大坂で換金し、随時、江戸に陸路(御伝馬<おてんま>)で送金していた。これは江戸での支出にあてるためであったが、幕府の公用陸上輸送は宿駅に多大な負担を与えた。

そこで幕府は、元禄4年以降、大坂に店舗を持つ江戸の両替屋たちに送金業務(御為替御用)を委託することにした。

三井は、その一員に抜擢され、すぐさま大坂に両替店を構えることになった。

実は、この御為替御用には特別な役得があった。幕府公金を大坂で預かり、江戸に上納するまでの90日間は、それを融資に転用できたのである。三井大坂両替店は、その莫大な幕府公金を元手に金貸しとして大きく成長した。

実際、三井は「両替店」を名乗りながらも両替業務にはほとんど従事せず、基本的には民間相手の金貸し業を主軸とした。まさに大型民間銀行の源流といえるだろう。

『三井大坂両替店――銀行業の先駆け、その技術と挑戦』(著:萬代 悠/中公新書)