教室に来ていただき、マンツーマンでお教えしたのは1年ほどだったでしょうか。その後は一般のクラスに入り、他の生徒さんと一緒にキルト作りを学んでいただきました。他の生徒さんも最初こそ緊張していましたが、徐々に打ち解けていって。しばらくすると、皆でお食事に出かけたりもしていたようです。

うちの生徒さんは年齢層が幅広いため、なかには三浦さんのことをお孫さんのように思う方もいらっしゃいました。その方は、車移動ばかりで電車には乗ったことがなかった彼女に、切符の買い方から教えてあげたのだとか。教室のみなさんと一緒に出かけたその時のことを、三浦さんはずっと恩に感じていたそうです。

当時、三浦さんはまだ週刊誌に追いかけられていて、時には記者の方が強引に教室の中に入ってくることもありました。幸い講師が食い止めたのですが、彼女はそれを申し訳なく思っていたようで、よく「ご迷惑をおかけしてすみません」と謝っていらっしゃいましたね。ちょっとした騒ぎになって、友和さんが車で迎えにきたこともありましたっけ。

三浦さんのお宅は本当に仲のいいご夫婦で、キルトの半纏も、友和さんはずっと大切に着ていらっしゃるとうかがっています。まだ今のように、ダウンやフリースの羽織着が普及していなかった頃。友和さんから「『寒い撮影所で防寒のために着るものが欲しい』とリクエストされたから」と言って、それはもう一生懸命作っていました。

そんな友和さんも、まさに力いっぱい百惠さんを守っているという感じなのです。夫婦喧嘩もしないとおっしゃるので、ある時うちの夫が百惠さんに「そうは言っても、たまにはムッとすることもあるでしょう?」と尋ねたのですが、その時も「いえ、ありません」とキッパリ。お互い心底から大切にし合っている、うらやましいくらい素敵なご夫婦です。

 

キルトを通して自分自身の人生を生きる

三浦さんが先ごろ出版したムック『時間(とき)の花束』には、彼女が30年以上費やして、コツコツと作り続けてきたキルト作品がまとめられています。なかには息子さんが小さい頃に作った作品もあり、私も懐かしい気持ちで見返しました。

あれは三浦さんの次男・貴大くんが5歳の時のこと。キルトに興味を示し、「僕も作る!」と言い出したのです。そこで、六角形の布をつなげる簡単なパッチワークをまず教え、次に、実際に芯を入れたキルトを作ってもらうことにしました。

少しずつ縫い進め、完成したのは彼が7歳になった頃。仕上げに三浦さんが「たかひろ 7さい」と刺を入れ、母子合作の可愛いキルトができあがりました。小さな手でよくぞ頑張ったと思います。

一方、長男の祐太朗さんは、いよいよ家から独立することになった時、三浦さんが作ってくれたお気に入りの一枚を持って行ったのだそう。これは三浦さんもうれしかったはず。離れていてもキルトでつながっているなんて、作家冥利につきるのではないでしょうか。