鷲沢さんの教室「キルトおぶはーと」にて。手にしているのは夫の与四郎さんが作ったキルト(撮影=本社写真部)
40年以上キルトに関わってきた鷲沢玲子さん。東京でキルトの教室を開き、たくさんの方にキルトの極意を教えてきました。伝説の歌手・山口百恵さんもその一人。結婚後家庭に入り、「三浦百惠」となった彼女はキルトの制作を思い立ち、鷲沢さんの教室に通い始めます。鷲沢さんに、ご自身の半生から百惠さんとの出会いまでうかがいました(構成=上田恵子 撮影=本社写真部)

洋書を取り寄せ、辞書を片手に模索

私とキルトの出会いは、今から40年以上前にさかのぼります。当時、アメリカ建国250年に合わせて、雑誌『暮しの手帖』がアメリカンキルトを特集。銀座のギャラリー「ザ・ギンザ」でも、アメリカから持ってきた作品を紹介するキルト展が開催されていました。それらを見て「キルトっていいなあ」と思ったのが始まりですね。

「キルト」とは、表生地とキルト芯と裏生地の3層を、刺し子のように縫い合わせたものの総称です。土台布に花等のデザインをアップリケしたものは「アップリケキルト」、小さな布をはぎ合わせパッチワークした場合は「パッチワークキルト」と呼びます。

細かく縫い合わせたものほど丈夫で、洗濯機でもザブザブ洗えて長持ちするため、お子さんに作ったキルトを今はお孫さんが愛用している、というお宅も多いのです。

私はもともと、刺繍や洋裁などの手仕事が大好きでした。「これからは女性も仕事を持つべき」という母のアドバイスに従い、大学は経済学部を選んだものの、洋裁をやりたいという思いを捨てきれず……。

結局、大学3年生の時に洋裁の専門学校に入学しました。午前中は洋裁の学校、午後は大学という生活は大変でしたが、おかげで充実した学生時代を過ごせたと思います。

ところが、母の助言もなかったかのように大学卒業と同時に結婚してしまったため、社会に出て仕事をする夢は叶いませんでした。突然専業主婦の立場になり、なんとなく毎日を過ごしながら「このままでいいのかしら?」と自問自答していた時に、キルトを始めようと思い立ったのです。

とはいえ、当時はキルトの黎明期。教えてくれる先生もいないため、丸善で洋書を取り寄せ、辞書を片手に作り方を模索するしかありませんでした。ですので、私のキルト作りは、基本的にすべて自己流です。

「このキルトは2500枚の布をつないでいる」という説明文を初めて目にした時は、絶対に無理だと途方に暮れたものですが、現在私が作っている作品は5000枚、1万枚の布をつなぎ合わせるのが普通。慣れってすごいなあとつくづく思います。(笑)