子どもを手放していく時

一生記憶が色褪せることはない。40年経ってもまだ繰り返し観て感動が冷めないライブ。
奇しくもいま瑛介の歳で観たあの時を思い出して、一生の宝物を大切に大切に抱えている自分に気がついた。

そのわたしが、どうしたものか息子のここ一番のお願いを真っ向から却下している。

親ってホントに、ズルいと言われても仕方ない。

パーティの司会をよくしていた頃。「盛り上げ芸」はこの時に培ったのか。まさかこのままマイクを握る仕事につこうとは…

いつからいろんなことを忘れてしまったのかな、と考えることがある。
大人は一通り子どもを通り越してきたのなら、子どもの頃の気持ちも覚えているはずなのに。
いつのまにか頭ごなしに「ダメです!」な親になってしまったことが、恥ずかしいようなザンネンなような、複雑な気持ちになってしまった。

立場が変わると感じるものも変わるのかもしれない。
でも一度でもその経験があって知っているのなら、

「ああ、そうそう、そうだよね。それわかるよ」

目の高さを同じにして話をしたり、一緒に考えたりすることに奇をてらわない親でいられたらな、と…
少し首を垂れて反省する大神なのでした。

いつのまにかわたしの背を追い越して、よく見ればわたしより屈強な体格から擦り手で拝み倒してくる中2・瑛介。こんな図体のデカい息子を、まだディズニーランドにも親なしで行かせたことがないのだ。
1つ1つ、信じて子どもを手放していく時が来たのかもしれないな。

ライブ、
お母さんも一緒に行こうかな!

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