左が瑛介。いっちょまえにラッパー風(写真提供◎大神さん 以下すべて)
大神いずみさんは、元読売巨人軍の元木大介さんの妻であり、2人の球児の母でもある。苦しいダイエットをしている最中に、長男が大阪の高校で野球をやるため受験、送り出すという決断をした。球児の母として伴走する大神さんが日々の思いを綴る。

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わたしのこれまでの経験が、わたしの全財産

新年度を迎え、我が家の息子たちも1つずつ進級・進学した。

長男は、大学1年生。
すでに2月に大学の野球部寮に入寮したので…
いつのまにかヌルっと本当に大学生になってたんだ!?というかんじ。

履修科目の選択や広いキャンパスでの生活が始まり、時々弾んだ声で電話がかかってくる。いいなぁ、楽しそうだなぁと思って聞きながら、母はウン十年前の自分の時のことを思い出している。

福岡の高校を卒業してすぐ上京した18歳の私でさえ、バブルが弾ける前の東京は、浮かれきった自分を担ぎ上げて歓迎してくれているように思えた。女子大生ブーム真っ只中の横浜に飛び入った小娘、ワクワクヒューヒューな福岡からの上京だった。

ちょっと英語が好きなくらいでなんの資格も特技もなく、自分は何がしたいのか、何ができるかもわからなかった18歳の大神いずみ。

大学生である時間に私が「何某」であるかを知ることができるように、とにかくいろんなことに手やら足やらなんでも出してみよう!
本気でそう思って大学に入学した。

家庭教師に電話受付、アイスクリーム屋、競艇のイベントにアパレル店員、海外ロケ番組のレポーターやアイドル映画の端役など…長く続けるよりいろんなバイトをせっせとハシゴしていた。

これでもまだ足りない、まだまだ知らない世界があるはず、出会える人達がもっといるはずと、勉強そっちのけで「経験を積む」ことばっかり考えていたようなわたしだった。

でもそう言えばそれ以降今日に至るまで、あんなに自由に興味のままに自分で選んでいろんな経験ができたのは、あの4年間だけだったかもしれない。

就活の時、ほぼ資格や縁故のあてもない「素手」でいろんな会社を受けた際、やたらと
「わたしのこれまでの経験が、わたしの全財産です」と言ってのけて、ほぼ落ちまくっていたあの頃。売り手市場の時代に、だ。
そう言えるのもまた、「経験」かもしれない。