『代議士の妻たち2』初回放送当日の讀賣新聞朝刊「試写室」欄(1989・1・9)(写真:『証言 TBSドラマ私史: 1978-1993』より)

 

昭和天皇崩御にリクルート事件。様々な現象や事件が、立て続けに昭和の最後に起こりました。そんな歴史の転換期に、「平成」初のテレビドラマ『代議士の妻たち2』をつくったのが、元TBSプロデューサーで現・日本映画テレビプロデューサー協会事務局長の市川哲夫さんです。今回、著書の『証言 TBSドラマ私史: 1978-1993』から、知られざる当時のドラマ制作の裏側を教えていただきました。市川さんいわく「当時『政治のドラマは当たらない』といわれていた」そうですが――。

天皇崩御

1月7日(土)朝8時近く、自宅の電話が鳴った。私はまだベッドにいた。

「あ、市川さんですか、こういうこと(「天皇崩御」)になりましたが、今日の『代議士~』のご予定は?」

「午後からリハーサルをやって、夜にはロケーションだよ」と編成担当の狩野敬に答えた。

「ロケーションについては、一寸こちら(編成部)と相談させてください」と狩野にいわれた。

その日は、第4話のリハーサルと撮影でディレクターは坂崎彰だった。リハーサルは滞りなく行なわれた。ちょうどその時間帯には、小渕恵三官房長官から「平成」との新元号の発表が行なわれていた。

昼間は、今にも雨が降り出しそうな曇天。夜のロケーションは、主人公代議士の自宅前のシーン。成城のある邸宅の玄関回りを撮影用に借用していた。ADの山田亜樹が成城には土地勘があり、見つけて来た場所だ。都心とか、繁華街の撮影ではないので問題はないだろうと判断し、編成部に連絡したうえで成城の現場に向かった。

夜9時近かっただろうか、ロケバスに電話が入った。制作局長の梅本彪夫からだった。

「お疲れ様。明後日の放送、予定通り放送することに決定したけど、何か差し障りのあるようなシーンってある?」

「主人公夫婦の地元での結婚のお披露目シーンは、ありますけど」

「なんかおめでたいシーンとか?」

「あまり目出度いシーンとしては撮ってないですけど、獅子舞を仕込んで撮りました」

「ちょっと、そこのところ、抑え目に出来ないかな」

「獅子舞のヨリのカットを一つ差し替えるくらいですかね」

「そうしてくれる」といったやりとりがあった。

30数年も前の話で、今振り返ると「羹に懲りてなますを吹く」の感が拭えないが、その時はそうした「空気」に私も支配されていた。ディレクターの坂崎に了解をとったうえで、ADの戸高に緑山の編集所に行ってもらった。撮影終了に合わせるように、雨が降り出した。