ところが、中学校の進路指導の先生に「漫画家になりたい」と伝えたら「お前、大丈夫か?」と呆れられ、母に至っては、漫画家になる娘に出す学費はない、交通費も出さない、とカンカン。聞こえよがしに、「お父さん、満智子はもう産まなかった子だと思いましょう」なんて言っていましたね。

そんな言葉にもめげず、手引書を参考に、見よう見まねで漫画を描き始めました。高校は歩いて通える公立高校へ進学し、バイトをしながら紙やペン、投稿用の切手を買うお金を稼いで。

ある時、講談社の新人賞に応募したところ、私の「ピアの肖像」が入選。高校生でデビューすることになりました。ペンネームを考えるひまもなかったため、字面に柔らかさのない本名で描き続けることになってしまったのが残念です。(笑)

あんなに反対していた母は、デビューが決まると、手のひらを返して応援してくれるようになりました。「どうせなら、一流になれ!」と。何でもそうなんですよ。勉強も一番でなきゃ駄目。娘のことなのに負けず嫌いなんですね。

私で懲りたのか、妹には甘くて。だから、ご近所さんは皆、母のことを継母だと思っていたそうです。(笑)

<後編につづく

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