両親の早逝で家事に追われる日々
廣喜 二人で暮らすようになって何年くらい経つんだっけ。
秀介 今年で14年目だね。この家は、じいちゃんが戦争から帰ってきて、食品工場で働きながら苦労して建てた家だよな。
廣喜 もう昔の話だから忘れちゃった。秀介が俺にうまいもんを食わしてくれたのはぜーんぶ記憶に残ってるよ。
秀介さんは、中学3年生で母親を、高校1年生で父親を相次いで亡くした。ともにすい臓がんで、あっけなく逝ってしまったという。もともと三世代6人で住んでいたが、両親の死後は、祖父母と秀介さん、2歳年上の兄の4人暮らしに。ほどなく祖母が認知症で施設に入り、廣喜さんは男手一つで孫二人を育てることになった。
秀介 ばあちゃんが施設に入る直前、家事をできなくなってからだよね、じいちゃんがみんなのご飯を作るようになったのは。
廣喜 若い頃からおばあちゃんに任せっきりだったからなあ。息子夫婦が若くして亡くなった時は、もう本当にどうしようかと思った。やれるだけのことはやって看取ったつもりだけれど、大変なことになったなあ、って。
秀介 じいちゃんが料理するところなんて、見たことなかった。
廣喜 なにも凝った料理はできなかったけれど、育ち盛りの二人に麺類なんかはよく作ったな。