秀介 そこがすごいよな。だから兄貴が18歳からお金の管理をしてた。でも僕が高校2年生で留年しちゃって……。その時、兄貴が1年分の学費113万円をテーブルに並べて僕に数えさせた。10万円ごとに、「これがあったらあれができた、これもできた」とか言うんだ。

最後に、「お父さんとお母さんが遺してくれた大切なお金を、お前はこれだけ無駄にしたんだ」と言われて、悪いことしたなと思ったよ。それを黙って見てたじいちゃんはひと言、「頑張れよ、恥ずかしいよ」って。言葉は少なかったけれど、痛烈に覚えてるよ。

廣喜 みんなそれぞれに考えを持っているからあまり言わなかった。信じていたから。

秀介 兄貴が就職して家を出てからは二人暮らし。と言っても、2階で過ごす僕は昼に起きて大学のサークルでダンスして、夜はバイト。ただの同居人みたいな感じだった。1階でたまたま会ったら「お、久しぶり」って。

廣喜 そうだった。あんまり見かけなかったなあ。

秀介 在学中に僕はNSC(吉本総合芸能学院)に通い始めた。「就活のネタになれば」という軽い気持ちだったけれど、コンビを組んで活動を始めるとだんだんのめり込んでいって。じいちゃんは僕がお笑いをやることには反対だったんでしょう。

廣喜 反対というような反対はしなかったと思うけれど、いい大学を出たのに、なんで会社に入って働かないんだと思った。

秀介 でも、最終的にじいちゃんは、「道は、人が歩かないとできない。何もないところを歩いたとしても、振り返ればそこはもう道になっている。どんな道を作ってもいいけれど、自分のやりたいこと以外やるな」って言ってくれた。大丈夫、応援しているよと僕には聞こえたよ。

廣喜 自分が好きでやるのだから、責任を持てる仕事をしなさい、という気持ちだった。

秀介 NSCの同期には、ゆりやんレトリィバァやおばたのお兄さんなど才能あるやつらが集まっていたけれど、負ける気はしなかった。でも、コロナ禍に突入してから、劇場に立てずに収入を断たれてしまって……。

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