すかさず俺もタバコを咥えた

納得したところで、そろそろ自分の部屋に戻ろうかと思っていると、今度は窓の枠に腰掛けた男が当たり前のようにタバコを吸っていた。というかタバコの匂いに釣られてここまできたのだ。鼻先に煙の匂いを捕まえていたからだ。

こちらが喫煙に気がついて近寄っていることも気にせず、無言で外を眺めながらタバコを燻らせていた。

男は俺の方を見る。くたびれたシャツに無精髭。髪の毛も伸びっぱなしの白人男性。年齢は60代だろうか。

どんな旅をしてここに辿り着いたのか。それともこの街の出身だったりするのだろうか。

彼の出自を勝手に想像して眺めてると目があった。こちらを見返す顔には警戒心が迸っている。思わず、敵じゃないアピールをするため、すかさず俺もタバコを咥えた。

何も言ってこない。俺もタバコに火をつける。こうして俺は屋内でタバコを吸うというアメリカでの喫煙タブーをあっさりとおかすことになった。

(写真:丸山ゴンザレス)

ニューヨークに限らず、アメリカでは公共の場や屋内では原則禁煙である。ホテルの中は当然ながら禁煙なのである。

最近の喫煙事情について調べているとアメリカの喫煙ルールが厳格であるということをまとめた記事などを目にすることがあるが、実情との乖離があるように思える。

確かにルールは厳格に定められているが、それをすべての人が遵守しているようには思えない。

公共の場であろうと、周囲に人がいなかったらタバコを吸っている人は見かける。また、仮に喫煙している人を見かけたとて、喫煙者が指摘や注意されるようなことは滅多にない。警備員でもなければ率先して他者と関わろうとすることがないのは、日本と同じかもしれない。

とはいえ、決められたことを守れない側が悪いのは間違いないので、声高に実情との違いを主張する気はない。むしろ「守れなくて、すいません」である。

ちなみに後日、フロントで確認を取ったのだが、ここは実際にホームレスの収容施設としても機能しているそうで、彼らは10ドルで泊まれるそうだ。何年も住んでいる人もいるとのことで、それぐらい長く滞在している人にとっては、タバコがNGなんてルールはどうでもいいのだろう。実際、宿の人も特に気にしていなかった。

※本稿は、『タバコの煙、旅の記憶』(産業編集センター)の一部を再編集したものです。

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タバコの煙、旅の記憶』(著:丸山ゴンザレス/産業編集センター)

危険地帯ジャーナリストであり裏社会に迫るYouTuberとしても大活躍中の丸山ゴンザレスが、旅先の路地や取材の合間にくゆらせたタバコの煙のあった風景と、その煙にまとわりついた記憶のかけらを手繰り寄せた異色の旅エッセイ15編。海外の空港に到着して一発目のタバコ、スラム街で買ったご当地銘柄、麻薬の売人宅での一服、追い詰められた夜に見つめた小さな火とただよう紫煙……。煙の向こうに垣間見たのは世界のヤバい現実と異国の人々のナマの姿だった。ウェブ連載を加筆修正し書き下ろしを加えた待望の一冊。