神田區須田町、神田旭町、神田田代町、神田一ツ橋

<神田區須田町>

交通博物館がなくなりました。神田駅地下街も万惣(まんそう)もなくなりました。任天堂も栄屋ミルクホールもなくなり、肉の万世(まんせい)・秋葉原本店も24年3月末で閉店しました。

明治30年創業の山本歯科医院。平成17年に登録有形文化財指定の建物の入口に残る昭和22年以前の旧町名(写真提供:二見書房)

ですが、柳森(やなぎもり)神社があります。海老原商店も山本歯科医院もあります。藪そばも千代田区一の魔境・自販機コーナーも、そして神田區須田(かんだくすだ)町があります。これだけで十分です。ミルクホールは神田多(かんだた)町でした。

<神田旭町>

昭和36年、あるビルの建設工事中に瓦や盃などの遺物が出土しました。これらは江戸初期この地に屋敷を構えた秋田藩佐竹氏の品であることが、瓦に印された「扇に満月」の家紋によってわかったのです。

家紋は月なのに旭。当時町名を決めた役人が家紋の丸を日輪と間違えたのだとか。(写真提供:二見書房)

家紋が満月なのに「朝日」町なのはさておき、町名の由来が佐竹氏家紋である点を踏まえ、この神田旭(かんだあさひ)町の旧町名も佐竹氏の遺物として扱おうではありませんか。

<神田田代町>

AKB劇場向かいの雑居ビル群に2つの神田田代(かんだたしろ)町の跡がありました。UDXと中央通り間の狭小町域を考えると奇跡的な現存であるため、ビルごと消えたいまとなっては夢か幻だったのでしょう。

この田代、平成19年ごろに発見したものだが、消滅したいまとなってはどこにあったのか覚えておらず(写真提供:二見書房)

田代という文字、いずれまた夢でもし逢えたら素敵なことですね。まあ、しいて言えば文字だけなら「アキバ田代通り」で逢えますけどね。

<神田一ツ橋>

一ツ橋の2つの丁目は、なんと郵便番号が異なります。

1丁目は「100―0003」で、2丁目は「101―0003」。

旧教育会館の門柱に残る旧町名。風化が進み今後文字が判読できなくなるかも。見るならいまのうち(写真提供:二見書房)

同じ町名なのにどうしたの。人口50人なんだし仲良くしなよ。

実は、千代田区成立以前のそれぞれの旧々町名が原因でした。1丁目は「麹町區竹平(こうじまちくたけひら)町」で2丁目は「神田區一ツ橋通町」。

別の自治体だったのです。

※本稿は、『旧町名さがしてみました in東京』(二見書房)の一部を再編集したものです。


旧町名さがしてみました in東京』(著:102so/二見書房)

かつて存在し、そして消滅した地名=旧町名の名残りをさがす異色の街歩きエッセイ!

地名は、その地を知る最大の手掛かりであり、その地の歴史、文化を反映するものです。

旧町名にまつわる歴史的・文化的エピソードを、旧町名の遺物を16年間探し求めてきた著者が撮りためてきた写真と共に紹介します。