宝町、霊岸島、越前堀
<宝町>
街は生き物であり、姿形は時代とともに日々確実に変化しつづける。旧町名をさがしていると常にその現実を突きつけられます。写真に写る宝町(たからちょう)は平成19年のものですが、開発の波とコンクリートの海に飲み込まれ、いまはその姿も面影も見る事ができません。
下の写真の宝町は現町名に併記する形で残されていました。この行為にどのような意図があったのか、いまでは知る由もありませんが、消滅した旧町名に対する所有者の哀悼を感じずにはいられません。

この記事で紹介する旧町名たちは、既に消滅したもの、所有者や地域が大切に残しているもの、忘れられ放置されているものなど、その境遇はさまざまです。ただし共通するのは、彼らが示す旧町名が現役の町名であった当時からそこに存在しつづけていること。いわば歴史の遺構、町の生き証人なのです。
古いものが淘汰されることは受け入れるべき現実ですし、彼らもいずれこの宝町と同じ結末を迎えます。
だからこそ私は彼らを見つけ出し、その街で生きた証を記録しつづけているのです。哀悼を込めて。
<霊岸島>
目を引く「霊」。文字大丈夫? そう思いますよね。明治末までこの地の町名には霊岸島の冠が付きました。後に冠は外れるも、震災後の町名整理で冠どころか町名自体が霊岸島(れいがんじま)となります。

ここで住民から挙がったのが「縁起が悪い」。今も昔も思うことは同じでした。元々霊岸島付いてただろ的な説得で収まったそうです。
<越前堀>
震災で閉校した霊岸島尋常小と越前堀(えちぜんぼり)尋常小の合併で誕生したのが明正(めいせい)小学校。校名は「公明正大」と、明治に発展した霊岸島小と大正に発展した越前堀小の元号の合成です。

霊岸島と越前堀、2つの地域に育まれた明正小は、空襲被害で一度廃校になるも、住民の願いで復活。消滅した2つの町名の分まで健在です。