麻布區谷町、芝白金今里町、芝下高輪町、芝區伊皿子町、芝區豊岡町

<麻布區谷町>

誰もが一度は耳にする首都高・谷町(たにまち)ジャンクションの谷町です。『超芸術トマソン』の表紙を飾る銭湯の煙突とそこから見下ろした街並みの舞台でもあります。

なぜか旧赤坂區福吉町に現存する麻布區谷町。お店の人の話では丸重の創業地が谷町であった(写真提供:二見書房)

あの銭湯もあの街並みも開発の波に飲まれ町名も消滅しましたが、その貴重な旧町名がなんと居酒屋「丸重」内で保存中。この感動はぜひお店で体感してほしい。

<芝白金今里町>

白金(シロカネ)の明治学院(ヘボン塾)のお膝元の旧町名。島崎藤村(本名春樹)が作詞した校歌は生命(いのち)や青年(わかもの)など溌剌とした詩が特徴です。

すき焼きの今半の「今」は今里の今。牛肉を求めて業者がこの町に殺到した時代の名残(写真提供:二見書房)

さらに応援歌には大合唱(大コーラス)や聖峰(ホーリーピーク)など想像を超える解釈が踊っています。高見沢俊彦(アルフィー)編曲版の校歌も存在します。

『旧町名さがしてみました in東京』(著:102so/二見書房)

<芝下高輪町>

高輪北町と高輪南町の間に旧町名が挟まれていたらそれは下高輪町。高輪町や高輪中町でもなく、ましてや上高輪町もないのに下なのです。

謎坂の麓にあったNEC広告付きのこの琺瑯看板はいつの間にかなくなっていた(写真提供:二見書房)

町域は初代英国公使館の東禅寺を中心に坂坂坂。かつらを被った坊主が急死した桂坂、ほら貝が出た洞(ほら)坂、そして東禅寺左横の名称不明な謎坂。いずれもK点越え確実な斜度です。

<芝區伊皿子町>

伊皿子、なんでしょうこの謎の文字列は。伊藤の伊に皿うどんの皿そして子。明らかに意味不明です。

芝區伊皿子町のはずがもはや子町。平成22年ではかろうじて皿子町だったがますます風化中(写真提供:二見書房)

ですが意味不明で終わらせてはページが埋まりません。その意味を求めて現地に行ったら、ありました。港区が伊皿子の由来を3つ示していました。人名、訛りそして意味不明。

まさかの公式意味不明いただきました。

<芝區豊岡町>

能町みね子さんの著書で紹介されたこちらの琺瑯看板。その後の令和5年時点でも無事に生存していることを伝えたい一心で取り上げています。

戦前のものと思われる琺瑯看板の広告欄は味の素かトウランプの2種類しか見たことがない(写真提供:二見書房)

残りの町名表示板2枚も無事ですし、建物側面のトタンに刻まれた「ココニゴミステナイコト」の、ひしひしと伝わってくるゴミを捨てて欲しくない思いもそのままでした。