芝琴平町、赤坂檜町、芝二本榎西町

<芝琴平町>

旧町名旧町名言ってても、われわれがこの目で見られるのはせいぜい80年以内のものでしかないわけです。震災や戦災で物理的に焼失したのはもちろんですが、関東大震災後の帝都復興計画によって100年前どころか江戸時代からつづいた多くの町名が消滅してしまいました。

例えば港区新橋。旧町名は芝新橋ですが、その前の旧々町名は源助(げんすけ)町や露月(ろうげつ)町に烏森(からすもり)町など、より細分化されより個性を光らせていたのです。

この地に屋敷を構えた讃岐丸亀藩主が勧進した金刀比羅宮の本宮所在地が由来(写真提供:二見書房)

表札などの本来期待する形ではないにせよ、それらの旧々町名に触れることはできないだろうか。そう考えて東京をさまよいたどり着いたのが虎ノ門の金刀比羅宮(ことひらぐう)でした。

境内には大変珍しい銅製の鳥居が建立されていますので、いくつもの旧々町名が刻まれています。奉納が1821年のため、これらは江戸時代のリアル旧々町名に間違いありません。

<赤坂檜町>

乃木坂という坂があります。あのグループ名が一人歩きした結果「乃木坂 坂」と検索しないと情報に辿りつかないこの坂がある場所の旧町名は檜町(ひのきちょう)です。

長州藩毛利家屋敷の周りに檜の木が多かったことが由来。陸軍・米軍・防衛庁を経て現東京ミッドタウン(写真提供:二見書房)

檜の語源は最高の木を意味する「日の木」で、語源通り耐久性・品質共に最高の建築木材です。そういえば旧町域内の超高層ビルも高さ東京1位。檜町は最高の町。

<芝二本榎西町>

住居表示前は複数家屋が同じ地番はざらでした。その最たる例がこの二本榎西(にほんえのきにし)町。なんと地番が1〜4番地のわずか4つしか存在しない町でした。

一里塚だった二本の榎が町名由来の二本榎の西。建物ごと消滅(写真提供:二見書房)

これは明治期に土地が大きく区画された結果なのだとか。

ちなみに島崎藤村が一瞬住んだ次兄宅は二本榎西町3番地。あれ、写真は2番地だ。まさか藤村のお隣さん?