母の生きざま全てが遺言だった

そう思える根本にあるのが母の教えでしょうね。ある程度、私がお金をいただけるようになっても、母は大阪でやっていたお好み焼きの店をやめなかったんです。「今は元気に歌えているけど、歌えなくなっても生活ができるように私がつないでおくから」と。

一人のお客さまから何百円の儲けをいただいて暮らしていく。その中で母が示してくれていたこと。今から思うと、母の生きざま全てが遺言だったと気づきました。

嫌なことから逃げたらアカン。いつもニコニコしてなアカン。人によって態度を変えたらアカン。全てが教えやし、母が亡くなってから言葉がより一層色濃くなってきました。

そしてね、自分の引き際、そんなことを尋ねられる歳にもなってきました(笑)。ボロボロになるまで舞台に立つとか、まだまだできるうちに引くとか、いろいろな考え方があると思います。ただ、私の場合、そういう美学は日によって変わるんです。

「ステージの上で死ねれば幸せ」と思う時もあったら「そんなことしたら、片づける人が大変やで」と思う時もある(笑)。本当に変わるんです。