「自分自身が倒れて初めて、美空ひばりでいることの孤独さや寂しさは相当なものだったんだろうな、と身に染みました。」(加藤さん)

過度なストレスからお酒に逃げ体を壊して

おふくろが亡くなってからの32年間、本当にさまざまな苦難がありました。用心していたつもりでしたが、騙されたり、詐欺師に引っかかったり(笑)、何度も経済的な窮地に立たされました。そんな時、まったく知らない人に騙されたほうが、まだ救いがある。「えっ、この人が?」という人にやられると、ほんと、人間不信になりますから。

でも今思えば、若い頃にいろいろ経験させてもらってよかったのかもしれません。今48歳ですが、もしこの年齢でいきなりドカンと大きなものを背負わされたら、立っていられなかったでしょうね。今でも荒波が来ることがありますが、「あの時に比べたらましだ」と思えば、なんとか乗り切れます。

とはいえ私は決して強い人間ではないので、ストレスからついお酒に逃げてしまう。それも家で黙々とウイスキーをストレートで飲むという、かなり危険な飲み方。まさに「悲しい酒」です。(笑)

その積年の無理がたたったのでしょう。2年前に敗血症で倒れ、救急搬送されました。医師から命が危ないと言われ、自分でも、もうダメかと……。でも、嫁さんの顔を見た時、「彼女に託せばおふくろのことは大丈夫だ」と思えた。

彼女は大雑把な私と違い、細かいところまで目配りがききます。小学校の後輩でもあり、母のファンでもいてくれた彼女がいたからこそ、やってこられた――。

集中治療室で管につながれ苦しみながら、「おふくろと同じことをしてしまった」とも思いました。おふくろは、私の実父である弟や身近な人が亡くなってからは、家でお酒とたばこを手放せなくなって。私は「やめたほうがいいよ」と言い続けてきたのに、気づけば自分が同じ飲み方をしていた。

自分自身が倒れて初めて、美空ひばりでいることの孤独さや寂しさは相当なものだったんだろうな、と身に染みました。

おふくろは最初に47歳で倒れた後、一時は復帰したいという思いでがんばっていたし、「ステージで死ねたら本望」と周囲にもよく言っていました。でも、体調が悪化するにつれ、もう再び歌えないと悟った時、死にたいと訴えることさえありました。

亡くなる1ヵ月くらい前、母の日のプレゼントのお返しに、手紙を渡してくれました。そこには、意外なことが書かれていました。「もう私も、死にたいなんて言わずに、和也と一緒に新しい人生を歩みたいと思っています」と。

そのひとことが、息子の私にとって、どれだけうれしかったか。この人のためならなんでもしようと、その時心底思いました。