それは同時に自分自身に対し、「おまえもだよ」ということでもあるんですね。53歳という僕の年齢になると、「死」が意識のなかに入ってくる。逆算すると、自分のキャリアの終点も見え始める。じゃあ、今、そしてこれから、どう生きる……? 闘病から亡くなるまでの時間は、そんなことを考えさせてもくれました。
母の死については、じんわりとした寂しさは常にありますが、涙にくれるというものではなく、落ち着いた気持ちで受け入れられたと思います。
母親が下着姿で取っ組み合いを
――1960年代から70年代にかけて、反商業主義的な芸術ムーブメントとして若者たちの大きな支持を得たアングラ演劇。なかでも熱狂的な人気を集めていたのが、既成の劇場に頼らず、紅テントで興行していた唐十郎さん主宰の「状況劇場」。李麗仙さん(当時は李礼仙)はそのスター女優。唐さんと李さんは公私にわたるパートナーで、劇団が注目を集め始めた68年に義丹さんは生まれた。
家の1階が自宅、2階が稽古場でした。生活する場の真上で、多いときには50人もの劇団員が、すし詰め状態になって、大声でわめいたり、激しく動きまわりながら芝居の稽古をしている。両親もそっちにかかりっきりです。
物心ついたときからそういう環境で、親の代わりに劇団員のお兄さんお姉さんが幼い僕の相手をしてくれることも多かったですね。追い込みの時期になると、夜の11時頃まで稽古が続く。それまで子どもの僕は放ったらかしです。
何しろ床板1枚隔てた2階では、殺し合いさながらの激しいアングラ劇をやっている。5歳の子どもでも、そこが緊迫した大人たちのゾーンだということは感じます。どんなに空腹でも、「おなかが空いた」なんて言えない。
親にしても「3時間くらい食わなくても死にやしない」という考えで、まさに昭和(笑)。今の時代なら確実に問題になっていますね。